夜な夜なひとりごと

鉄は熱いうちに打て

〜好きだから〜 の限界

最近SNSで思うことがある、

これは全面戦争かって。

 顔が見えないって恐ろしい。

 

私の応援するグループは短期間に色々なことが起こったので他グループよりもひたすら批判的なことを言うアカウントが多くなったように思う。(もちろん良いことしか言わないのが良いとかそういうことではない)

 

 

 オタクがオタクを引用し叩きあう。

自分の応援している人を上げるために他メンバーを執拗に叩く。

なぜそんなに殴りあうのだろう。

なんのために?

まるで終末期を見ている気分だ。

 

 

今回の色々なことを悲しんだり、怒ったり、嘆いたりいろいろな感情に掻き乱されるのはとてもよくわかる。

しかし、そこからヒートアップしてこの人は善その人を悪としひたすらその人を叩くのはどうなんだろうか?そりゃ悪いところ(揚げ足をとったようなものが多い)をピックアップして切り貼りしてひたすら流してたらその人は悪に見えるよね。まるで良いところのない人みたいに書くのだから。その人のいいところはないの?じゃああなたが持ち上げている人は本当にすべて善なの?と言いたくなる。

そもそも善と悪で決められることなのだろうか。あの時のあの発言あの対応が気になったからその人は悪と決めつけていいのだろうか。人ってそんな単純に分別できないんじゃないか。良いところもあれば悪いところもあるのが普通なんじゃないのか。

しかも自担を持ち上げるためにやっているのだとしたら、グループの他のメンバーを叩くことでそのグループ自体にマイナスの影響しかなくなる。そして自担にもマイナスの影響が向く。だってソロで活動していない以上グループの○○さんなのだから。結果自分の応援している人の首を絞めているのだから皮肉だ。応援している人はそのグループとして活動しているんだから首を絞めることは本当に好きだから故なんだろうか?応援している人のためになるんだろうか?しかも鍵垢ではなく公開しているのだからタチが悪い。ただの誰の目にも触れるのだから吐き溜めではない。コンサート付近に砲撃するマスコミとやっていること一緒じゃないか。

あるファンをお花畑だの盲目だのと勝ち誇ったように叩き自分の価値観が正しいと信じて疑わないほうがよっぽど何も見えていないのではないのだろうか。

 

 

好きだから〜良くなってほしいから〜故にという人は可愛さ余って憎さ百倍だから誹謗中傷していいのだろうか?誹謗中傷は愛ある批判とは全く別物だ。そして、この人は善でその人は悪と決めつけてるかぎり、どんなにその人に良いところがあろうと輝いていようと色眼鏡で見てしまい気づくことはないだろう。それだったら誹謗中傷するのではなく距離を置いたほうがよっぽど身のためではないだろうか。

 

裏切られたと感じ憎しみのあまり叩きたくてしょうがない人はそれはもうファンではない。自分たちの生活を守る為に捏造したり事を大げさにしたりするマスコミよりもタチの悪い自分の欲望のため身勝手に誹謗中傷する人たちでしかない。

 

 どうしてこんな身勝手なんだろうか。

顔が見えないからなにを言っても良いと思っているのだろうか。

問題を起こしたらここぞとばかりに叩いて叩いて叩きまくってなんにも出ないのにさらに叩いて こてんぱんにして自分は悲劇のヒロインを演じて楽しいんだろうか。

 

 

そしてこの全面戦争に終わりはくるんだろうか。